(语音)标准日语中级课程30:日本人と魚
~に応じて (におうじて) ~ばなれ …さえ…のだから,…まして …どころか …そうなものだ …にほかならない ~など …に…ない …まい …たところで,…
(1) 言葉と言うものは、生活と深いかかかわりを持っている。 動物のラクダは、日本語では「ラクダ」と言う単語しかない。ところが、アラビア語には、同じラクダを指すのにも「人が乗るためのラクダ」「荷物を運ぶためのラクダ」など、それぞれ違う単語があるという。砂漠に生きる人々にとってラクダは生活に欠かすことのできないものだから、それだけ言葉も細かく使い分けるようになったらしい。 では、日本語ではどうだろうか。そう考えたとき、思い当たるのは魚である。 例えば、ブリと言う魚は、成長の段階に応じて、ハマチ.メジロなど、いくつか違った名前で呼ばれている。こうした細かい言葉の使い分けがあるのは、魚と日本人の生活との間に深いかかわりがあるからだろう。 日本は海に囲まれた国であり、昔から新鮮な魚に恵まれていた。すしや刺身のように、魚を生のまま食べる習慣があるのも、それだけ新鮮な魚をたくさん取れたからにほかならない。魚は日本人の生活に欠かすことのできないものだったのである。
しかし、最近、魚は日本人にとってそれほど馴染み深いものでなくなってきたようだ。台所を預かる主婦の間でさえ,[魚の名前を聞いてもそれがどんな魚なのか分からない」と言う人が増えている。 こうした「魚離れ」の原因の一つは、魚屋や八百屋よりも、スーパー.マーケットで買い物をする主婦が増えたことにある。スーパー.マーケットでは、たいてい冷凍で保存した魚を刺身や切り身にし、1前とか4人前とか、パックにして売っている。最初から切り身にしてある魚からは、とうてい泳いでいる魚の姿など思い浮かべることができないだろう。無駄がなくて簡単に食べられるのはいいが、調理の手間を省いたために、魚に対する主婦の関心や知識まで奪ってしまったのである。 大人さえ知らないのだから、まして子供ならなおさらである。サケの切り身しか見たことがない都会の小学生が、実物のサケを見て驚いたという話がある。まさか切り身がそのまま泳いでいるとは思っていなかっただろうが、笑うに笑えない話である。 この調子では、日本人は今に、ブリとハマチの区別どころか、どんな魚も区別がつかなくなってしまうのではないだろうか。日本の伝統的な食文化を破壊されつつあると言っても、決して大げさではあるまい。
(2)
山田:昨日、テレビで「奥様教養クイズ」って言う番組を見てたんだけど、世の中の主婦が、あんなに無知だとは思わなかったね。あきれちゃったよ。 王:あら、どんなクイズだったの。 山田:魚を見せて、その名前を答えさせるクイズなんだけど、ほとんどの主婦が答えられないんだ。毎日買い物をしていれば、魚の名前くらい自然に覚えそうなものなのになあ。 佐藤:そのクイズなら私も見てたわ。でも、主婦が魚の名前を知らないのも無理ないんじゃないかしら。スーパー.マーケットで毎日買い物をしてても、魚の知識なんか身につかないと思うわ。 王:だけど、日本は世界一たくさん魚を食べる国だって聞いたことがあるわ。それなのに、魚の名前を知らないなんて、おかしい気もするわね。 山田:そうだろ。これは日本の食文化の崩壊だよ。 佐藤:まあ、大げさね。山田君がいくら怒ったところで、仕方ないでしょう。それなら、日本の食文化を守るために、山田君が主婦になったらどう。 山田:いや、僕はもっぱらすしや刺身を食べることで、日本の食文化を守ろうと思ってるんだ。
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